合宿免許のこんな場合
いちばん端的な例は工作機メーカーがほかの会社の儲けを計算して「あなたのところはこんな工作方法をしているが、この機械を使うと一年でこれだけ儲かるからこの機械を買わないと損ですよ」と実に合理的な販売方法を行なっている。
日本の工作機械の会社はこちらから頼んでもそんな答えは出てこない。
アメリカの会社は他人の儲けを計算し、それで要ったほうが得だという気を起こさせる。
すなわち積極政策というか、合理性をすぐに実行している。
これだけの差がある。
またアメリカの工場では新しい機械を使っていて、その隣には古いまだ使えるような機械が置いてある。
なぜその機械を使わないのか、使わないと損ではないかと聞くと、とんでもない、こっちの新しい機械は高い金を出して買ったのだから、早くもとをとらなければならない。
新しい機械のほうが早く品質のいい製品ができるからこっちのほうを使わないと損だし古い機械のほうは、元金は取ってしまっているし、能率が悪いから使わないだけだという。
日本人は新しい機械を買うと工場の片隅に大切にしまってあまく使わない。
使わない機械はいつまでも新しいものだと思っているがどんどんニューアイデアの新しい機械ができて、前の機械は古くなるという事実を知らない。
徳川時代三百年の夢のようにいつでも新しいものは何年たっても新しいと思っているがこの点をわれわれは反省しなければならない。
よい機械は重点的に償却するようにするべきで、工作機械などは日本では十六年の寿命だといっているが、十六年たって償却するとどうなるか。
もうそんな機械は骸骨同様である。
私のところの機械は六年で償却するように計画を立てている(現在では四年)。
中小企業は少し儲けると私有物視する傾向があるが、大いに考えねばならない。
明治、大正、昭和と思想は変わってきているので、従業員全体のことを考えねばならない。
設備の改善を第一にやらなければならないのに自分の住宅を最初にやって次に事務所を増築、工場をたてる。
機械などはいちばん最後になるということがよくある。
そういうところに限って製品はよりないし根本的にいって工場を経営する能力がないと思う。
われわれも苦労していないとそういうことになくあるが昔風の経営で抜けきらないところがある。
アメリカなどでは各団体が結束して非常によく真剣に考えている。
製品自体に合理性を導入して工場経営も論理的でなければならない。
もう一つ中小企業の方に申し上げたいのは、一生懸命するということの意味である。
よく下請け企業の経営者は一生懸命にやったが、不良が出た、納期が守れなかったと訴える。
経済社会では気持ちの上の一生懸命は通用しないのであって、問題は製品の品質と値段だけである。
一生懸命にやらないでも品質がより、値段が安ければよい。
一生懸命賃というのは支払われない。
したがって、計画的に合理的に仕事を進めて一生懸命やらんでも、製品の品質と値段を確保することが肝要であると思う。
われわれ日本人は合理性という点で非常に欠けているのでわれわれは若い新しい思想の人たちをどんどん入れて新しい空気を経営に導入し企業の合理的な経営方針をとらなければならないと思う。
会社あるいは個人にとって、その発展をはかる場合には、やはくパイオニア精神がなければならないとよくいわれるが、古い歴史と伝統をもっている会社はどうしてもそれにしぼられるためかパイオニア的な仕事に手を出したがらないようだ。
当然、パイオニア精神が生まれないようにきちんと仕組まれているからである。
いうまでもなく、日本のかつての工業というものは全部といっていいくらい軍が支援してきたものだ。
飛行機でも、自動車でも、ちゃんと保護法というものがあった。
いいかえれば、官庁が経営していたと同じことだったのである。
したがって、自分で考えることをしない。
たとえば、 飛行機にしても、官庁が外国のエンジンをバラして、その部品の青写真をとって与える。
工場ではその青写真のとおくに作成しておくさえすれば、技術屋だといっていることができた。
自分の力量によって、または自分のアイデアによって作成したのだと広言しているけれども、厳密にいえばすべて、これ模倣だったのだ。
終戦後、マッカーサーがこんできていっさいガツサイを吹きはらって従来、立派な会社だと飛行機をつくっていていた会社が恥も外聞もなくナベやカマを出した。
そういう会社が、いまだに重工業だといっていぼっている。
まだいいとして、ひどいのになると自分のところでは、いまだに昔の飛行機の技術を温存しているという会社さえある。
保守もここまでくれば全く手つけようがない。
十年も十五年も前の技術を温存されたのでは世の中がもと、もどってしまう。
「何をかいわんや」である。
これではパイオニアになどなれるはずはない。
一つ覚えると、それに死ぬまでしがみついているようなものである。
そういった会社の経営者の頭で考えれば、私のやっているパイオニア的仕事は、 たしかに1種の冒険に違いない。
私のやっていることが理解できない場合にはすべて、あれは冒険だと三一口で片づけてしまう。
どのように理論的であく、自然の理にかなっていようともたいていは冒険だと一笑に附してしまう。
私にいわせれば、ちゃんと理論が成り立たなければ何一つやっていないのだ。
人が納得するより、自分自身が納得できてはじめて手をつけるというのが、私のやく方である。
人にウソをいうことはできても、自分自身にウソはいえない。
パイオニア精神のない人には理解できないらしいのである。
ただそれだけのことだ。
いいかえれば、私は私なくに理論をもっているということである。
ただ、私の気持ちが相手に完全に伝わらないし、理解してもらえないから、冒険だといえば冒険だといえるようなものである。
それだけのことなのだ。
私自身にしても、自分が可愛いし 人のために仕事をしているというよりは自分自身のために仕事をしていることはたしかだ。
人間、どのような理由をまことしやかにのべようとしょせんは自分が可愛いことに変わりはない。
究極においては、自分のために働くのである。
したがって、私は会社のために働きにくるなどという社員は嫌いだ。
自分のためにいかに働くかが問題であく会社のためなどと昔の忠君愛国みたいなことをふくまれるのはいやだ。
欺捕行為であることは本人がいちばんより知っているはずである。
人はだれでも、自分の生活をエンジョイしたい、自由になくしたいということで仕事に精を出すものなのだ。
したがって、いちばん問題になることは働きにくる人がほんとうに働きにくる目的を達することができるように経営者のほうで気をくばってやることが働きにくる人にはいちばんの励みになるわけで能率の基本だと私は信じている。
この基本をないがしろにしておいて、重役が片。
から会社の金を使う。
いわゆる『社用族』 のレッテルをぶらさげて芸者をあげ、キャバレーで酔いつぶれ浪費してしまう。
社長や重役が芸者にうかれて浪費するなら、工員だって、すべてその権利があるはずである。
働くのはいっさい平等だからである。
社長だから、重役だからといって、何も特別にえらいわけではない。
社長という名称は統率上の名称であく工員は工員という名称にあるだけであって会社の席はすべて同じはずである。
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